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既存書籍の電子化について

キンドル・ファイアを発表したアマゾン、いよいよ日本語書籍の電子化も具体的に動き始めました。
とりあえずは既刊本の再版という形です。文庫本化と同様なものですが、電子書籍ですから取次を経由せずに、出版社とアマゾンの直接契約となります。

契約書ではアマゾンの取り分が55%前後のようです。紙の本は流通経費が30%、印刷代が30%くらいでしたから、至極真っ当な料率といえます。流通経費(データ通信費)はアマゾン持ちです。
ただ印刷代に相当する、フォーマットの料金が妥当かというと、いささか首を傾げざるを得ません。端末の値段を大幅に下げていますから、その費用も含めてということなのでしょうか。

アマゾンは本質的に流通業です。可読性も含めた本の内容にはまったくタッチしません。それなのにフォーマットの料金をこれだけ取るというのは、やはりすっきりしないですね。
これでは、アマゾン・マーケットプレイスと違わないことになります。しかも電子書籍なら、在庫もピッキングも物流も必要ないわけですから、単純にシステムの利用料です。
キンドルフォーマットは自由度が低いようですし、工程の中で編集・制作が関われる部分がほとんどありません。制作サイドから見ても、この料率は納得できません。

今までにも出版社が取次を通さず、書店に直接卸す形の流通はありました。地図や一部の宗教団体の出版物などです。棚貸しといわれる形態で、書店にとっては手が省けるものです。それぞれの詳しい内容は知りません、料率などは個別の契約だと思います。
もっとも、取次からの本も実態は書店の裁量で注文するものではありません。コンビニエンスストアのように、勝手に送りつけてくる本を棚に並べているだけですけれど。

古典文学の電子書籍化はこれでよい

青空文庫の取り組みには敬意を払います。古典を発行するにはあの方法が最善でしょう。電子化だけでなく、校正担当の方もおられます。一字一句もおろそかにしない、日本人らしい丁寧さです。Google eBookのスキャンは、80%の精度でよいと聞いたことがあります。
校正といっても古典は著者校できないし、何を底本にするかで変わってきます。必ずしも自筆原稿を定本とはできません。デジタルデータと違い、連載後の書籍化の時点で新たに版を組むため、あとで著者校が入ることが多いですから。

レイアウトについて一言。専用ビュワーではなく、スマートフォンでPDF版を読んでみましたが、可読性は問題ないと思います。ただ2段組みは必要ないですね。名前の通り文庫本を想定していると思いますが、そのサイズで2段組みにすると、かえって読みにくくなります。

電子書籍化してはいけない本もある

古典ではなく、著作権が切れた近代文学でもない、現代の既存小説には、今までの日本語組版の体裁が必要な場合があります。装幀に凝る作家はたくさんいます、さらに改行に意味を持たせている作家もいます。

池波正太郎先生の時代小説は、縦組みでないと収まらないし、圏点・ルビがなければ、
「どうにもならぬ……」
ものである。
ことは確かです。

池波正太郎の時代小説を電子書籍化する必要があるでしょうか。

池波先生は最初、新国劇の脚本を書き、演出をされていました。後に、主に時代小説をお書きになりますが、舞台の雰囲気が濃厚に漂ったものです。

池波先生の文章は一行が重い。ずしっと腹に応えます。
脚本のト書き一行には、役者の姿が立ち現れていなければなりません。池波先生が脚本のみならず、演出もなされたのは、自らの思い描いた情景を形にするためでしょう。

僭越ながら、時代小説の描き方もその手法を応用されたのではないでしょうか。読めば、人物と背景が鮮明に浮かび上がります。映像化して違和感が少ないのはその辺に理由があるような気がします。
池波先生は、書籍という形の中で江戸市中を再現されました。文章力、造語力(独り働き、お務め、引き込み…!)だけでなく、活字の配置も演出されているのです。これこそ描写の妙でしょう。

電子書籍化など、池波ワールドの冒涜に外なりません。池波先生はご著書の装幀から挿絵まで手掛けられ、映画にも見識をお持ちでした。電子化して安手の映像を組み合わせることを、お許しになるはずもありません。

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