AIweb publish 日本語組版

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日本語組版のこだわりとは

日本語組版の特殊性、確かにかなり特殊です。でもそれを日本語の文化だとか伝統とかは、言い過ぎというか、勘違いなのでは? それほどご大層なものとは思えません。
かなり古い話ですが、 W3C「日本語組版処理の要件」が策定されました。あれってなんですか、活版印刷のものですよ。あんな紙媒体時代の化石をwebで強要しようとする神経が信じられません。

私は日本語組版を否定するつもりはありません。日本語組版は100年以上の歴史があり、印刷物を作る際にいかに読みやすくするかの先人の努力の結集です。特に言文一致の漢字仮名まじり文章のための工夫、ルビや句読点、会話を表すカギカッコなどが代表例。
しかし、日本語組版に関して、現在の印刷・出版界の人たちのこだわりは、些末なことが多い感じです。

ルールに囚われることと、読みやすさは次元の違う問題

いまDTPレイアウトをしている人たちの多くは、おそらくアナログの仕事をした事がないでしょう。それにも関わらず彼らがこだわっている内容は、活版時代・写植時代の常識に囚われたものが大半です。
本当に大切なものかどうか顧みることなく、過去の遺物を踏襲しているだけのように見受けられます。

写研の文字(石井書体)は天地のサイズはそろっているのですが、左右がバラバラです。そのため横組みにした場合、字間が空いたように見えます。書体見本、ヒラギノと小塚の「日」の字を見比べてください。
主に広告のデザイナーがそのことを嫌って(広告コピーは横組みが多いですから)、字間を詰める指定をするようになりました。ただし横組みの仮名文字だけです。タイトルは手詰めの上、拡大・縮小したものです。ボディコピーはemで指定していました。
欧米の写植機では、最初からカーニングの機能が備わっていました。アルファベットは、たとえばWとIでは全く横幅が違いますね。

それを見た出版レイアウトの人たちが真似をして、《文字つめ》という指定をするようになりました。
ただ、猿真似をしただけなので、縦組みの雑誌でも、本文1歯詰め(トラッキングに相当します)などと、意味も分からずおまじないのように指定していました。
とてもじゃないが、品質へのこだわりといえる状態ではありません。かえって読みにくくしているのです。そんな程度です。
かと思えば、ある雑誌でホームページのレイアウト様式を取り入れた、といって自慢しているのがありました。その昔、欧米の雑誌レイアウトをパクっていた伝統が、いまだ生きているのでしょうか。

最近あまり使わなくなりましたが、(意を注ぐ、丹精する)ことを、コダワルという言い方が流行りました。おそらく「凝る」と「拘る」を取り違えたのでしょう。
拘る=物事の本質を見ずに、些細な、取るに足らない、小さな、つまらない、どうでもよいことにばかり囚われる、という意味です。

印刷・出版業界の人たちのこだわりは、まさしく言葉本来の意味で拘泥ということになります。活版→写植→DTPの変化さえ対応できない人たちに、電子出版を語る資格はないのです。

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